「ベクトル・空間」を終えて

ともあれ第1回の「ベクトルと空間座標」が終わりました.アンケートも読ませてもらいましたがなかなか面白い.いろいろなことを書いてくれて、教師としては刺激というか栄養というか、ありがたいことです.一人で読んでニヤニヤしているのはもったいない.
集計が出来たら「pdf版」で詳細を公開しますが、とりあえず「サワリ」だけ紹介しましょう.
(1) 目からウロコが落ちた. (2) 感動した.  (3) テキストがよい.
それはそうでしょう.それが
(4) 聞いていて鳥肌が立った.
となると、「もしかすると、俺もマンザラではないかもしれない」などと思えてちょっと嬉しくなる.
(5) 「証明をしたことのない公式を使うな」という言葉がグサリと来ました.
どうやら、公式は覚えて使うものだと思っていたらしい.それでは立派な工具を持っているが使い方を知らない大工さんのようなものだ.あまりにもったいないではないか.きっと何をやらされているのかわからないまま問題を解いていたんだろうなあ.
(6) 「自分が数学のカケラを集めて問題に立ち向かっていた」ことがよくわかりました.
おお、やっとわかってくれましたか.よかったよ.今なら間に合うよ.頑張れ!
(7)  「知る」ということは「別人になる」ということだ、という考えに感銘しました.
実を言うと、これは養老猛先生がどこかのコラムに書いていたのを私がパクったのです.でも私が感銘して実行しているのだから、養老先生も許してくれるでしょう.
この日、チューターさんが首をかしげてやってきて「この別人になる、というのはどういうことですか」と聞いたから、みんなが、あんまりそう書いているので不思議に思ったのでしょう.
実は、これは実験済みなのです.あるとき講義で重要な定理を開設して、前にいた子に「これ、知ってた?」と聞いたら「知らなかった」という.「じゃあ、今の説明はなかったことにして忘れてごらん」と言ったら「忘れられない」という.ということは「今日の君は昨日知らなかったことを知っているだから今日の君は昨日の君とは別人なんだよ」と言ったら彼は納得しました.だから、人生は後戻りはできない.育ち続けるしかない.これは多くの諸君が反応しましたよ.
(8) 父が昔、先生の授業を受けて「良かった」からと勧められて申し込みました.
これはビックリコンだったなあ.まるで「闇討ち」にあったような衝撃でした.父上には「諸橋は別人になって、別人になって・・・うんと頑張ったから、当時より少しはマシな講義をしています」とお伝えください.そして「覚えていてくれてありがとう」とも.

(工事中)

イマイチ講座、開講

いよいよ 「イマイチの人全員集合」というイベントが始まります.
第1回は「ベクトルと空間座標 (06 / 04 )」 (河合塾横浜校 0120-192-149)です.詳細はこちらのパンフレット(クリックをご覧ください.申し込みの受付は05 / 19 (木)から 河合塾横浜校ですが、ネットでの受付はないそうです.
ちなみに「数III微積分」は06//18「数列と級数」は07/02、いずれも土曜日15:00から(クリック)です.これらも同時に受け付けているようです.
なお、都合で講義に出られなくとも申し込んでおけばテキストは用意します.ただし、人数分しか作れないのでご容赦ください.
また、その主旨とか目的などについては上のプルダウンメニューの「moropapaからの手紙」(クリック)をお読みください.詳しく書いてあります.

昨年のアンケートによれば、まず「テキストがとてもよい」そうです.それは、こんなふうに「数学をべた書きにしたものを見たことがない」からだと思います.そして、「これを頼りに頑張れば登れるかもしれない」と思うからだと思います.事実、先輩諸氏は登って行きました.
しかし、いかに「べた書き」のテキストとはいえ、君たちがズラズラ読んでわかるところと、私が入念に説明しないとわからないところがあります難しいところはやはり難しいということは決して忘れないでください.
中には「講義を聴いたら目からウロコは3枚落ちました.マツゲも5本落ちました」などというのもあって、とにかく、彼らは講義を聴いて何かに出会ったのだろうと思います.講義というのはそういう「魔力」があるものなのです.

この講座をやってみてわかることは、よくできる子もそうでない子も、みんな自分のことを「イマイチだ」と思っているらしい.どうも「完璧にやった」という達成感がないのではないか.
そして、それはオトナたちの感性を含む構造的な問題なのだと確信するにいたりました.
おそらく、粉々に打ち砕かれた「数学のカケラ」のようなものをあてがわれて今日まで来てしまったのではないか.どうしてそういうことになってしまったか、については上のプルダウンメニューの「諸橋の講義シリーズ」親ページ(クリック)に書いたので読んでみてください.
しかもそれは、この業界45年の教師である私の方からは見えるが君たちの方からは見えない、そういう性質のものなのです.
だから難しすぎるとか、新傾向とか、過去問の練習とか、そういう次元の発想ではカタのつかない問題なのです.まして、自分勝手に「これは出ない」などと判断するなど、論外です.
なぜ講義シリーズ原点シリーズを書いたかそれはこうなることが予見されたからです.
なぜイマイチシリーズを始めたかそれは微力ながら何とかしようと思ったからです.
全国の予備校の先生方、高校の先生方に頼みます.若者たちがこのままでいいわけがない.どうか彼らを助けてやってください.
そして若者たちに告ぐ!     クドクドと説明しても仕方がないから、まずは偏見を捨ててスナオに感動しなさい学ぶことに感動し、変わる自分に感動しなさい.そのむこうに全く新しい風景が広がります.

(工事中)

1学期

私の講義は04/19(火)から始まりました.校舎は河合塾横浜校、担当する分野は「東工大クラス」「国公立理系クラス」「数III微積分」です.
この「数III微積分」で、まず戸惑うのは次の2つの極限であると私は考えています.
\displaystyle\lim_{\theta\to 0}\frac{\sin\theta}{\theta}=1~~\cdots\cdots\cdots\cdots\cdots(1)
\displaystyle\lim_{h\to 0}\frac{e^h-1}h=1\cdots\cdots\cdots\cdots\cdots(2)
そして、(1) の角 θ は弧度法(ラジアン)で表示され、導関数の定義にしたがって
(\sin\theta)'=\cos\theta\cdots\cdots\cdots\cdots\cdots(3)
を導く根拠になっている.そして「弧度法(ラジアン)」はこの(3)に始まる「三角関数の微積分」を実現するために開発された角の測り方なのだ.
また、(2)も導関数の定義にしたがって
(e^x)'=e^x~~\cdots\cdots\cdots\cdots\cdots\cdots(4)
を導く根拠になっているが、用途の応じて
\displaystyle\lim_{t\to 0}\frac{\log_e(1+t)}t=1,~\displaystyle\lim_{t\to 0}(1+t)^{\frac1t}=e,~\displaystyle\lim_{x\to \pm\infty}\left(1+\frac1x\right)^x=e
とカタチを変えて現れる.しかし、これらはみな同じ式なのだ.つまり、1本が与えられれば、そこから他の式は誘導される.そしてこの
e=2.718281828459\cdots
という無理数は、(4)に始まる指数関数、対数関数の微積分」を実現するために開発されたきわめて人工的な数なのである.
まずは、このことをわかってもらいたい.そして先人の知恵感動してもらいたい.その上で微積分に入ってください.
これらについての詳細は 微積分講義の30ページ以下に書いてあります.

ここまで書いて、フト心配になってきた.もしかして君たちは「弧度法(ラジアン)」の意味も考えず、「e のありがたさ」に感動することもなく、(3)と(4)を覚えていきなり問題にとびかかって行ったのではないか.そりゃマズイ.大ケガをするか、下手をすると死んでしまう.
中間テストや期末テストでは何とかごまかせても、「本当の実力」が求められる入学試験ではそうは行かない.
先日の春期講習の最終日、1人の生徒に玄関で会った.「先生、ボクはバカでした」という.
私は 「じゃあ、利巧になるしかないね」 と言って別れた.彼は今どうしているだろう.
ともかく、何の感動もなく問題演習をしたところでそれだけのことでしかない.それらの背景を知り、おのれの無知を噛みしめ、先人の知恵に感動することなくては成長はあるまい.
まだ、君たちに人生は始まってもいなない.それを納得できるものにするかどうかは、ひとえに君自身にかかっているということを覚悟したらいい.勉強は教わるものではない.自分で勝ち取るものなのだ.頑張ってください.

 

(工事中)